貴志祐介『ミステリークロック』(角川書店)

 ミステリの花が廻りだす

 貴志祐介『ミステリークロック』(角川書店

 本書は、貴志祐介ミステリの代表作ともいえる「防犯探偵シリーズ」の第四作にあたる。探偵役は防犯コンサルタントを生業とする榎本径、助手は美人弁護士の青砥純子が務める。

 

「ゆるやかな自殺」

 ヤクザの組事務所に呼び出された榎本は、一般住宅とは比べものにならない厳重な施錠を破ることに。悪戦苦闘の末、開錠に成功した榎本を待っていたのは、自ら顔を撃ち抜いたと思われる組員だった。一見すると自殺だが、榎本は組員の犯行ではないかと怪しむ。下手な推理を披露すれば自分があの世へ送られかねない状況で、榎本は密室の謎を破ることができるのか?

 ヤクザの組事務所で自殺に遭遇したという、極めて非日常的な状態であっても、榎本の推理は冴え渡っている。他殺ではないかという疑いを抱いてから、事件の真相を解き明かすまでの流れには、一切の無駄が排されている。シンプルな構造ながらもトリックのキレ味は鋭く、心地良い酩酊感が読者を包み込む。

 

「鏡の国の殺人」

 深夜の美術館に侵入した榎本は、密室であるはずの館内で死体を発見する。死体は、自らに防犯設備のチェックを依頼した館長であり、何者かが榎本を嵌めようとしたのであった。榎本が疑いの目を向けたのは、新進気鋭の現代アートの旗手。しかし、館内の至る所に監視カメラが設置されており、それらが幾重もの壁となって、榎本に立ち塞がる……

 張り巡る監視カメラは数多く、逃れられない。その様を「多重密室」とでも呼ぶ。一つ解くのも途方ない密室。連なり、罪隠す。しかも舞台は美術館。『鏡の国のアリス』模す、ミラーハウスが配された。

 本作において注目すべきは、道化役も務めたルイス・キャロル研究者の萵苣根教授である。彼の極めて個性的なキャラクターは、ともすれば地味になりかねない「密室モノ」に、非常に鮮やかな印象を与えている。しかもイロモノに収まることなく、事件の解決においても十二分に役割を果たすのだ。「七五調」を愉快に操るこの男には、ぜひとも再び活躍の場を与えられてほしいものだ。

 

「ミステリークロック」

 ミステリー作家が主催する晩餐会を訪れた榎本と青砥。招待されたのは、編集者に俳優、医師に作家。個性豊かな出席者たちと時間を過ごすのは、時計だらけの奇妙な山荘。晩餐を終え、仕事部屋へ戻った主は、死体となって発見される。一面の時計たちは被疑者のアリバイを頑丈にするのか。それとも榎本の推理を堅固にするのか。

 表題作。

 時計だらけの山荘を舞台に、奇妙な晩餐会が催された。「それでは人が死ぬのもやむを得ない」と言うのは、推理小説マニアの業だろう。仕掛けられたトリックは、文字通り秒単位で策されている。本書において最も難解かつ複雑な榎本の推理には、時間を忘れて頁を捲らされるに違いない。

 一方で、極めてミステリ的な思考に根差している本作にあっても、貴志祐介のユーモアは見事に発揮されている。自身の作品までもネタにしてしまう軽妙なセンスには、脱帽せざるを得ない。

 

「コロッサスの鉤爪」

 青砥の許に訪れたのは、ゴムボートの転覆によって婚約者を亡くした女性。優秀なダイバーである彼が溺死するなど信じられないと主張するが、当時現場には誰も近づけなかったという。海を舞台とした密室の謎を、榎本と青砥は解明することができるのか?

 前の三作とは一転して、〈水中聴音機〉や〈飽和潜水〉などの専門的な用語が飛び交う本作。ただし、物語の修飾や雰囲気づくりのためだけに用いられているわけではない。貴志祐介は、専門的な知識をミステリに落とし込むことが非常に巧いのである。しかも門外の知識をミステリにも活かしてみようといったレベルではなく、専門的な知識そのものから物語を作り上げる。言うなれば、「本格ミステリ」とは異なった意味での本格派なのだ。

 また本作では、青砥の助手っぷりが炸裂している。もちろん、探偵に力添えするという意味ではない。青砥が様々な仮説を述べていくのである。それらの仮説に榎本が反証することで、別解を潰すことができ、最終的にアリバイを崩すことへと繋がるのである。

 

 本書の特徴は、「密室」というミステリの一大ジャンルに対して、どこまでも真摯に向き合っていることにあるだろう。収録された四つの事件は、どれを取っても魅力的な謎に溢れており、読者を惹きつける。それらは「物理トリック」や「心理トリック」といった垣根を越えた、「究極の密室」と呼ぶに相応しいものばかりだ。しかし、それはあくまでも作品の入り口に過ぎず、榎本によって解き明かされた事件の真相は、この上なく良質な驚きを齎してくれる。

 古今東西のミステリ作家によって使い尽くされたとされる「密室トリック」は、今なお貴志祐介によってこの世に産み落とされているのだ。

 

ミステリークロック

ミステリークロック

 

 

 

貴志祐介『天使の囀り』(角川ホラー文庫)

 人類よ、福音に耳を澄ませ

 貴志祐介『天使の囀り』(角川ホラー文庫

 大学在学中にデビューした作家、高梨光宏。彼はいつか訪れる死への恐怖に憑りつかれ、死恐怖症に蝕まれつつあった。しかしアマゾンでの調査から帰国して以来、一転して、死への病的な執着を見せる。そして、ついには自殺してしまう。恋人で精神科医の北島早苗は、そんな高梨の行動に疑問を抱き、調査を始める。すると、調査隊の他のメンバーも、常識では考えられない状況で自殺を遂げていたことが判明する。さらに彼らは、「天使の囀り」を耳にしたというのだ。

 萩野信一は、恋愛シミュレーションゲームに熱中するフリーター。そんな彼は、ゲームの攻略について調べている際に、「地球の子供たち」という怪しげなホームページに出会う。そのチャットにのめり込んだ彼は、ついにオフ会に参加することに。最終日を迎えた萩野を待っていたのは、「守護天使」を向かい入れる聖餐の儀式だった。

 彼らが出会った「天使」とは、一体何のことなのか?

 

「ホラー小説は、どうも性に合わない」

 ミステリ愛好家の中には、こういった方も多いのではなかろうか。しかしながら、この作品を読んだ方は間違いなく恐怖する。

 一般的に、ホラー小説の醍醐味は、「何かわからないもの」への恐怖にあるとされる。そして、物語が進むにつれて、その正体は明かされていく。その過程にホラー小説の魅力がある一方で、次第に恐怖が盛り下がることは否定できない。しかしながら、本作にこの常識は通じない。むしろ「何かわからないもの」の正体が明確になるにつれて、読者が感じる恐怖は高まる。最後の頁をめくるその瞬間まで、常にその恐怖を意識せざるを得ないのである。

 本作の特徴は、物語を読み始めた時点では、この作品がどういった類のホラーなのか予想できない点にもある。アマゾンの奥地で一体何が起こったのかという魅力的な謎を提示された読者は、科学的、あるいは非科学的な想像を働かせる。主人公が精神科医であるということも、奇妙な集団が出てくることも、さらには著者があの貴志祐介ということも読者を大いに悩ませる。つまり、この作品がどういった方向へ舵を切るか自体に、読者は恐怖を抱きつつ、読み進めなければならないのだ。

 北島と萩野のパートが交互に繰り広げられるのも、本作の特徴の一つだ。二人の人物がどのように関わってくるのか。「天使の囀り」あるいは「守護天使」の正体とは一体何なのか。異なる二人の視点からの様々な情報は、次第に絡まりあい、やがて読者は一つの真実へと引き寄せられる。「天使」の正体を知ってしまえばもう手遅れだ。すでに読者は、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた著者の意図に絡めとられ、身動き一つとることが出来なくなっている。

 何よりも本作にこれほど恐怖を感じるのは、圧倒的なリアリティによるところがある。様々な分野の専門的知識や現代社会に生きる人々の抱く感情、そして卓越した表現技術。これらが効果的に用いられることで、リアリティ溢れる世界観が構築されるのである。

 かつてこれほどまで恐怖に身悶えする作品があっただろうか。本作は、他の怪奇的なホラー小説とは一線を画す、エンタメ性にも優れた傑作なのである。

 なお、本作にたびたび登場するある描写については、苦手とする方も少なからずいるだろう。だが、未読の方の心配には及ばない。きっと貴方は、恐怖を克服することができるだろう。

 ただし「天使」の力を借りることになるのは言うまでもないが――

 

天使の囀り (角川ホラー文庫)

天使の囀り (角川ホラー文庫)

 

 

 

貴志祐介『十三番目の人格 ISOLA』(角川ホラー文庫)

 13人いる!

 貴志祐介『十三番目の人格 ISOLA』(角川ホラー文庫

 舞台は一九九五年、阪神大震災直後の兵庫県

 賀茂由香里は生来のエンパスであり、他人の感情を読み取ることができた。かつてはその能力に苦しめられたこともあった由香里だが、被災者の心のケアに自らの能力を活かすことを決意する。

 ある日由香里は、ボランティアとして訪れた病院で長期入院中の少女と出会う。怪我で入院しているその少女の名は、森谷千尋といった。一見するとどこにでもいるような高校生の千尋だが、エンパスである由香里は、彼女が様々な人格を持つ解離性同一性障害――多重人格であることを見抜く。千尋の人格に興味を抱いた由香里は、彼女が通う高校の臨床心理士野村浩子に協力を仰ぐことに。

 浩子の助けを借りながら、千尋の人格の統合を目指す由香里であったが、十三番目の人格には思いもしない秘密があった……

 

 多重人格をテーマにした作品は、ミステリに限らずとも数多く存在する。誰もがその名を知る「ジキル博士」と「ハイド氏」を筆頭に、映画や小説、テレビドラマに限っても枚挙に暇がない。しかし、一口に多重人格といっても、作品によってその扱いは多岐に渡る。では、本作における多重人格の扱いについて、一番の特徴は何だろうか?

 他の多重人格を取り扱った作品との違いは、主人公が人の感情を読み取る能力〈エンパス〉を有している点にあるだろう。通常の作品であれば、一体何人の人格が存在しているのか、本当に多重人格なのか、といった疑問が生じる。

 だが本作は、由香里の能力を通じて、多重人格者に心の内を吐露させている。多重人格者を虚構の中に配置されたキャラクターとして描くのではなく、一人の人間として描くことに成功しているのである。しかも、由香里の能力はあくまで感情の一部を読み取るに過ぎないため、読者が千尋のすべてを知ることにはならず、物語の起伏を残したまま内面を描写することができるのだ。

 人々が心に負った傷に迫っているのも、本作の特徴の一つだろう。これは何も、被災者の千尋に限ったことではなく、物語に登場する多くの人々が、過去の出来事によって心に傷を負っている。そんな彼らの記憶を描き出すことは、由香里の能力を印象付けるだけでなく、物語に単なるホラー以上の奥行を与えている。人の心を忠実に映し出すことによって、多重人格やエンパス、さらには大震災まで、様々な非日常的なガジェットを巧く繋ぎ合わせているのだ。

 本作は、多重人格者をテーマにしたサイコホラーの枠を超越した、素晴らしい作品であり、たとえ貴方の感情を読み取らずとも、お楽しみいただけること請け合いだ。

 

 

 

折原一『七つの棺 密室殺人が多すぎる』(創元推理文庫)

 密閉された乗物内で人が殺されている。しかも、犯人は煙のように姿を消してしまった。ややっ、これはやはり、私の最も得意とする、あれではないか。警部は大きく深呼吸して興奮を鎮めてから、おもむろに口を開いた。

「それは、みっ……」

 一番気分が昂揚している時に、誰かが彼の背後から叫んだ。

「密室だぁ、それは」

 出鼻をくじかれて、警部はずっこけた。

 

――「天外消失事件」より

 

 カーに捧げられた密室

 折原一『七つの棺 密室殺人が多すぎる』(創元推理文庫

 白岡署の黒星警部は、熱烈な推理小説好きが災いし、見当違いな推理ばかり披露している。周囲に「迷宮警部」とも揶揄される彼が出会ったのは、密室の魅力に満ち満ちた難事件だった……

 

 本書は折原一の第一作品集『五つの棺』に二編を追加し、収録順や題名を変更した改訂増補版である。『五つの棺』に収録された五編には、加筆訂正もなされている。

 折原のデビュー作が密室ものであることは、一部のミステリ読者にとっては意外かもしれない。代表作『倒錯のロンド』を筆頭に、折原は多くの叙述トリックを用いた作品を発表してきたことで知られている。叙述トリックは使われている事実そのものがネタバレとなるにもかかわらず、折原作品では使われていることが前提となっているのだから、極めて稀有な作家といえよう。

 だが、折原のデビュー作が密室ものであったことは、決して不思議な話ではない。早大在学中には推理小説研究会に所属していた折原は、カー・マニアに負けないほどディクスン・カーを読んでいると自負している。同じくワセダ・ミステリ・クラブ出身の北村薫が編集したミステリ個人誌『じゅえる』の世界ミステリベストテンのアンケートでは、第五位にディクスン・カー『三つの棺』を挙げている。『五つの棺』及び『七つの棺』がこのもじりであることはいうまでもない。

 ところが『五つの棺』を発表した際、「不可能犯罪の巨匠ジョン・ディクスン・カーに捧げる」と記したことによって、熱烈なカー・ファンから厳しく叱られたという。カー・ファンに捧げられたわけではないから、何も激怒するほどのことでもないが、これもカーが、そして密室ものが愛されている証しといえるかもしれない。

 本書に収録された七つの密室殺人は、古典作品を意識したパロディやパスティーシュであり、折原の密室ものに対する愛がユーモアたっぷりに描かれている。ミステリ入門として楽しめることはいうまでもないが、過去の名作に思いを馳せながら読むのも、また一興ではないだろうか。

 以下では、七編を収録順に紹介する。

 

「密室の王者」*1

 白岡町民体育館で死体となって発見されたのは、「町民相撲大会」で優勝した横綱だった。現場は内側から施錠され、目張りまでされた密室。しかも彼は高所から落とされて、後頭部を打ち付けて死亡したという。黒星警部が導き出した犯人とは……

 題名を見ればロナルド・A・ノックスの短編「密室の行者」のパロディだが、事件の様相は早すぎた『体育館の殺人』とでも評すべきだろうか。天井と床の間には垂直の壁しか存在せず、どのように犯人が密室から逃げ遂せたかだけでなく、どのように被害者を殺害したのかも謎となってくる。本格ものとしても通用しうるトリックを使いながらも、黒星警部の若干間抜けな奮闘ぶりはあくまでパロディに徹しており、『五つの棺』に収録されていなかった本作が改訂増補版のトップを飾ったことも充分に頷けよう。

 現在でこそ緊迫した筆運びのサスペンス作品で知られている折原だが、本書に始まる〈黒星警部シリーズ〉ではユーモアミステリとでも呼ぶべき筆致を見せている。本作の舞台となった体育館が禁煙であることも、そのユーモアが如何なく発揮されている。

 

ディクスン・カーを読んだ男たち」*2

 白岡のはずれにある富豪の屋敷から一報を受けた黒星警部を待っていたのは、「在室」のプレートが掛けられた主人の書斎と、四年ぶりに家を訪ねたという姪だった。書斎は内側から鍵が掛けられており様子を確認できないが、伯父の身に何かあったのではないという。

 力ずくで扉を破った警部が目にしたのは、折り重なる白骨化した二人の死体と、密室殺人の巨匠ジョン・ディクスン・カーの著作だった。しかも、机の下にはペーパーナイフと猟銃が、死体のそばには書斎の鍵が残されている。いかにも奇妙な密室は、一体何を物語っているのか?

 ウィリアム・ブルテンの短編「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」のパスティーシュ。カーの著作が華を添える不可解な事件の謎は、起承転結の効いたプロットで解き明かされる。作中の人物がハーバート・レズニコウの作品を読んでいる描写からは、翻訳ミステリを好む折原らしい密室ものへの愛が感じられて非常に心憎い。

 

「やくざな密室」*3

 平和なはずの白岡町は、山田組と三和会の抗争によって、未曽有の危機に瀕していた。抗争は激化し、凶悪犯担当の黒星警部までもが見回りを任される。騒動の末、ハワイからロケット砲を輸入する山田組と、対抗して会長宅に核シェルターを配備する三和会。ところが警部は「鋼鉄の密室で組長が死ねば、面白い展開になる」などと、不謹慎なことを考えていた……

 完璧な密室である核シェルターは、殺人事件の舞台としては非常に魅力的である。一方でリアリティに欠け、物語に違和感なく組み込みづらいという問題点もある。ところが「やくざの抗争」というユニークな状況を与えることで、(若干の突っ込みどころはあるものの)核シェルターの存在に必然性を持たせている。また、組の対立という明確な動機を示すことにも成功しているともいえよう。むろん軽い筆致だからこそ成り立つ事件だが、だからこそその絶妙な可笑しさが、二転三転する事件の真相を鮮やかに印象付けているのではなかろうか。

 余談だが、本作にロケット砲を持ち込んだのは、山一抗争にヒントを得たのだという。実際の事件をモチーフにする作風は、すでに花開いていたとみるべきだ。

 

「懐かしい密室」*4

 日本を代表するミステリ作家、辻井康夫。白岡山の麓を執筆の場としていた彼は、唐突に休筆を宣言する。編集者たちが慌てて駆け付けたものの、鍵の掛かった書斎から辻井は消え失せた。それから二年後、編集者たちに辻井から「今度は密室に現れる」と直筆の手紙が届けられた。当日、書斎に現れたのは辻井――のバラバラ死体であった……

 ミステリ作家が密室から自ら消え失せる、あるいは首と胴を切り離した状態で発見される。これ程魅力的な不可能犯罪はないだろう。しかも本作は作家の消失と出現という二つの密室ものに終わらず、辻井康夫の著作『密室の富豪警部』が登場し、実際の事件とともに作中作で第三の密室ものが進行している。折原の持ち味である多重文体の手法は、このような作中作から始まったのかもしれない。

 辻井康夫及び『密室の富豪警部』は、筒井康隆のパロディ短編「密室の富豪刑事」(『富豪刑事』収録)に捧げられており、いわばパロディのパロディである。作中作の密室には筒井康隆を意識したとも思えるトリックが用いられており、その結末には思わず頬が緩んでしまう。

 

脇本陣殺人事件」*5

 定年退職後、白岡町に移り住んだ元国語教師の奥山京助。彼の教え子で一本柳家の娘寛子は、土地ブローカーの宮地健との結婚を迫られていた。財政状況の逼迫した一本柳家の借金に目を付けた宮地は、暴力団までけしかけているという。遂に訪れた婚礼の翌朝、内側からガムテープで目張りされた一本柳家の離れで、宮地の死体が発見された……

 周りを雪に囲まれ、内側から目張りされた日本家屋が舞台の密室もの――本作が横溝正史の長編『本陣殺人事件』のパスティーシュであることは一目瞭然だろう。横溝調の文章も特徴の一つである本作は、事件に関わった奥山が推理小説仕立てに執筆した原稿の体裁を採っている。語り手に作家やライターを据えるのも、折原作品に見受けられる特徴的な手法の一つだ。事件の真相と意外な結末は、比較的ユーモアに重きを置いた本書において、随一の本格派といえよう。

 

「不透明な密室」*6

 清川組の社長、清川清蔵が心臓をナイフで刺され、殺害された。容疑者として浮上したのは、白岡の町民センターの建設で入札を争った細田建設の社長、細田大作。事件当日、清川組の門前で細田が目撃されていたが、現場となったガラス張りの執務室は鍵が掛かっていた上に、周辺で十人近い社員が働いていた。一分の隙もない密室での殺人は、透明人間でなければ行えないように思えるが……

 本作で登場する事件は、内側から施錠されているだけでなく、ガラス張りかつ周囲に人がいる――衆人環視の中での密室殺人である。黒星警部が導き出したトリックは些か現実味に欠けるものの、パロディだからこその思い切りの良さが感じられるのではないだろうか。

 

「天外消失事件」*7

 白岡山にオープンしたロープウェイのリフト内で、係員が腹部をナイフで刺された女性を発見する。乗り場に着く直前までは生きていたというが、リフト内には犯人も凶器も見当たらなかった。リフトは内側から開けられず、窓からナイフを投げ入れることも難しい。乗り込む前に女性が刺されたと黒星警部は推理したが、犯人を見たという男が現れる。リフトの取材に訪れた月刊〈旅の情報〉編集部の沢田は、すれ違う下りリフト内の犯行現場を目撃したというのだ…… 

 折原が初めて書いたミステリである本作は「オール讀物推理小説新人賞」に投じられ、候補作に選ばれた。残念ながら賞を逃しはしたものの、東京創元社戸川安宣の耳に入り、『五つの棺』が編まれた。題名からはクレイトン・ロースンの短編「天外消失」が想起されるが、書かれた経緯もあって、他の収録作よりもパロディ色は薄い。

 現場となったリフトは空中の密室であると同時に、作中に時刻表めいたメモが登場するなど、変則的な鉄道ミステリとしての趣も垣間見える。選考委員の森村誠一や菊村至が「赤川次郎の亜流」と指摘したのも、その辺りが関わっているのではなかろうか。

 

 本書の底本となった『五つの棺』には、そのタイトルの通り五編の作品が収録された。以下は、五編の収録順と改題前の題名である。

 

「おせっかいな密室――天外消失事件」

「やくざな密室――帝王死す事件」

「懐かしい密室――ユダの窓事件」

「冷ややかな密室――脇本陣殺人事件」

「永すぎる密室――ジョン・ディクスン・カーを読んだ男たち」

 

 これらの五編は順に、クレイトン・ロースン、エラリー・クイーン筒井康隆横溝正史、ウイリアムブリテン、そして前述の通り不可能犯罪の巨匠ジョン・ディクスン・カーに捧げられた。密室の時代は終わったと考えた折原は、密室もののパロディを書くことで「これからの密室のあり方を実作で示そうとした」のである。

 なお『五つの棺』には、以上の五編に加え、あとがきにかえた「たそがれの密室」も収録された。こちらには自身による作品解題とともに、特に印象に残った密室ものとして以下の作品が挙げられている。

 

 G・K・チェスタトン「ムーン・クレサントの奇跡」(一九二六)

 ロナルド・ノックス「密室の行者」(一九三一)

 ディクスン・カー『三つの棺』(一九三五)

 カーター・ディクスン「妖魔の森の家」(一九四七)

 アラン・グリーン『くたばれ健康法!』(一九四九)

 ロバート・アーサー「五十一番目の密室」(一九五一)

 ウイリアムブリテン「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」(一九六五)

 E・D・ホック「長い墜落」(一九六六)

 クリスチアナ・ブランド「ジェミニイ・クリケット事件」(一九六八)

 トニー・ケンリック『スカイジャック』(一九七二)

 鮎川哲也「赤い密室」(一九五四)

 赤川次郎三毛猫ホームズの推理』(一九七八)

 島田荘司『斜め屋敷の犯罪』(一九八二)

 

 本書を読み、密室ものに興味を持った方は、これらの作品を手に取ってはいかがだろうか。密室の分厚い扉にかかった閂を開けるのは、誰でもないあなたなのだから……

 

【参考文献】

相川司・青山栄編『J'sミステリーズ KING&QUEEN 〈海外作家篇〉』(荒地出版社

ミステリ面白倶楽部編『ミステリ読書案内〈ニッポン篇〉』(シネマハウス)

 

*1:初出――『問題小説』一九八九年六月号

*2:書き下し(一九八六年七月)

*3:書き下し(一九八六年一月)

*4:書き下し(一九八六年三月)

*5:書き下し(一九八六年五月)

*6:初出――『別冊小説宝石』一九九〇年爽秋特別号

*7:第24回(一九八五)オール讀物推理小説新人賞候補作