再び『ルビンの壺が割れた』を読んだ。

どうも。

久しぶりに本を再読しましたよ。

 

宿野かほる『ルビンの壺が割れた』

ルビンの壺が割れた

 

以下ネタバレあり

 

以前、キャンペーン版の感想をブログに書きました。よろしければ、こちらを先にご覧下さい。

『ルビンの壺が割れた』を読んだ。 - DA-BLOG

 

さて。

読んだ感想は、初読のときとほとんど変わりありません。

幾つか手が加えられている点もあるようですが、ほとんど分かりませんでした。というか、再読ということもあって、つい流し読みしてしまいました。今回は出来るだけ時間をかけて読むつもりだったのですが……

正直なところ、完成度が高い作品とは思えません。オチを知った上で読んでも、やっぱり少し伏線が少ないかなと。メッセージ形式にしたことも活かせていませんし、やはり初読の際と印象は変わりませんでした。この辺りの感想は前回のブログに書いています。

 

ここからは再読した後に思ったことなどを、ざっと書きたいと思います。

 

まずは、二人の交わしたメッセージについてです。

初読のときは、第三者を意識している云々と言いましたが、すでにオチを知っている状態で読むと、思わずツッコミたくなります。あなたたちはどういうつもりでそんな文章を送っているんですかと。一般的な感覚からすれば、二人とも常人離れした感性の持ち主だと思います。そのためか、やはり二人の人物像が掴めませんでした。結局、何がしたかったのでしょう。本当にただ青春を取り返したかっただけなんですかね。となると、著者はおじさん説が濃厚になってきます。もちろん次点は言わずもがな――

 

次に、著者の宿野かほる氏についてです。

自分なりにいろいろと想像を張り巡らせたのですが、どうも本当に新人作家のようですね。少なくとも今のところ、彼(あるいは彼女)についての情報などは発表されていません。本当に新人作家だとしたら、かなり難しいデビューになったんじゃないかなと思います。作品の善し悪し以外のところで話題になったわけですから。次作が出るならばどんな作品なのか、今から楽しみです。

 

そして、新潮社のプロモーションについてです。

こちらは概ね成功ではないでしょうか。インターネット上で公開されたときにも話題になっていましたし、キャッチコピーも6000件以上集まったとのこと。本が売れないと言われるこの時代に、これだけの反応があるというのは、喜ばしいことですね。そして、何を隠そうこのブログのPV数No.1の記事もキャンペーン版について書いたものです。

しかし、作品の帯にも

ネット上で賛否両論を巻き起こした、超話題作!

とあったように、作品やプロモーションについての否定的な意見も数多く見受けられました。こういう方法を取ったからには避けられないことかと思いますが、新人作家の宿野先生にしてみれば、今後の作家としての道に大きく関わってくるのではないでしょうか。次作のハードルは高いなんてものじゃないでしょうし。次にあえて外した作品を書いたりすれば、また話題になるかもしれませんね。よく考えてみれば、ミステリ作家を名乗っているようでもありませんし。

 

ここまでは、前回の記事でも触れた部分に近いです。

 

再読して初めて考えたのは、『ルビンの壺が割れた』という作品のタイトルそのものについてでした。

タイトル自体はとても良いです。表紙のデザインと相まって、まさしく「ルビンの壺」が割れる様が目に浮かびます。黄色と黒色を使ったのは、警戒色であることを意識しているのでしょうね。ちなみに僕のイメージでは、赤色と白色のデザインでした。『殺人鬼フジコの衝動』みたいな。

ただ、実際に作品を読んでみると、割れるというよりも、徐々にヒビが入り、修復が出来なくなったというほうが正確な気がしました。お互いが交わすメッセージによって、少しずつ事実が見えてくるんですよ。そして最後まで読めば、まさに修復不可能な関係に陥っている。もちろん、本当は初めからそういった関係にあったと言えばそうなのですが、どうも割れたとまでは思えません。「ルビンの壺」が割れたと聞くと、今まで見えていたものが一気に反転して、真実が目の前に現れる感じがします。これって叙述トリックに使う表現なのではないでしょうか。叙述トリックを使った作品にこのタイトルを付けるのも、それはそれで問題な気もしますけど。

最後のページにしても、わざわざあのような演出を加える必要はなかったように思えました。もちろんインパクトはありますけど、別にあの一行が何かを割るようなものではありませんし、むしろ彼女のイメージに合わないと思います。彼女の身になれば決して不自然ではないのですが、小説の最後の一行となると、少し弱いかなと。ちなみに、FBにそんな機能はないとい感想を目にしたときは、「あ、言われてみれば……」と思いました。こういうことをサッと思いつける人になりたいですよね。僕にはなれる気がしません。

 

あ……

前回の記事ではメタっぽい仕掛け云々についても語っていましたが、見当違いもいいところでしたね。160頁という時点で気付くべきでした。ただのブログとはいえ、自分の考えた文章を見ると恥ずかしくなります。まあ、僕以外にも宿野かほるを古野まほろに空目した人がいることを知れただけでも、記事を書いた甲斐がありましたよ。

 

最後に言いたいことは、時間の流れが早すぎるということです。キャンペーン版を読んだときには、「出版までしばらくあるのに、攻めた企画だな〜」なんて考えてましたけど、いつの間にか本屋に並んでいました。今は部屋の本棚に並んでます。そのうちブック・オ(ry

僕が『ルビンの壺が割れた』を読んで学んだことは、「如何に時の流れが残酷か」ということなのかもしれません。

 

それでは。

『ルビンの壺が割れた』を読んだ。

どうも。

先日、ある作品を読みました。

SNSで話題の宿野かほる『ルビンの壺が割れた』です。

ルビンの壺が割れた《キャンペーン版》期間限定無料

新潮社の宣伝ツイートを見た方も多いと思います。インターネット上で全文公開した上に、広告コピーを募集するというものでした。インターネットが話題を作る時代とはいえ、あまり見ない試みだと思います。

まだ読んでいない方は、ぜひ読んでみてください。期間限定ではありますが、新潮社のサイトだけでなくKindleでも閲覧できます。せっかくの機会ですからね。

一応、自分の感想を書いたつもりですが、いろいろな方の意見を見たので、影響されているかもしれません。何かあれば、記事は削除させていただきます。

 

 

下、ネタバレあり

(オチ自体には言及していません)

 

たしかに伏線が少ないです。いくらメッセージとはいえ、ミステリであるからにはもう少し伏線が欲しかった。小出しに与えられる情報も、繋がりが感じられず、最後まで話に入り込めませんでした。

相手に向けたメッセージのはずが、読者の存在を意識せざるをえないという指摘にも頷けます。いくら昔の知り合いとはいえ、そこまで記憶が曖昧になるものなのかと。読者への説明であるという印象が、どうしても拭えませんでした。

ただそれ以上に、メッセージを交わす二人の人物像が掴めませんでした。なぜ掴めないのか、考えました。

まず、お互いの相手と自分についての記述に一貫性が見い出せません。相手のことについて何も知らないだけでなく、自分のことも上手く言い表せていない。昔男女の仲にあったというのであれば、仕方の無いことかもしれませんが。ただ、あまりにも一貫性がないので、別人の話になったのかと思ってしまいました。そこにミステリの仕掛けがあるのかと。

また、終始二人のメッセージで構成されているため、第三者の視点が存在していません。友人の発言もあるにはありますが、あくまでメールの一部に過ぎない。地の文がないことで、心理描写が不足しているように思いました。

ここまで読むと悪く言っているようですが、僕は嫌いじゃないです。ただ、これは読むよりも書くほうが楽しいだろうと思いました。

男女の仲にあった相手に知らない秘密があったという作品は、後出しにならざるをえないとも思います。だからこそ、メッセージという形式を用いたのかなと。連城三紀彦あたりを思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。

 

まあ、僕の感想なんてどうでもいいんです。

 

なぜこのような宣伝を行ったのか。

だれがこの作品を書いたのか。

こっちの方が気になりません?

 

なぜこのような宣伝を行ったのか。

たぶんこの手のプロモーションって、大成功のしようがないと思うんです。無料で読めるという時点で、手放しに褒めるなんてことは少ない。これだけ新潮社が自信を持って宣伝すれば、少し厳しい目で作品を読もうとするのが人間というものです。実際、作品を褒める人がいる以上に、作品に疑問を抱く人が多いと思います。僕だって、こうやってブログにしています。

でも、新潮社はそんなこと織込み済みなんでしょう。ネット上で話題になることも込みで、宣伝を行っている。実際に販売することになれば、帯やPOPに「ネットで話題騒然!」と書かれます。

おそらくSNSであの宣伝を見たときに反応する層と、書籍化されたときに手に取る層は違うんじゃないでしょうか。この本をキャンペーン中に読んだ人が、書籍化されても買わない。でも、それも想定済み。すでに読んだ人を宣伝の一部にすることで、読んでいない人にも存在が知れ渡ります。

もしもそうならば、いい試みですよね。本を手に取る人が増えることが、何よりも大切です。

  

だれがこの作品を書いたのか。

これに尽きますね。

小説の感想なんて、人それぞれですから。でも、作者は違う。読み手によって作者が変わる作品なんて、僕は聞いたことがありません。もしかすると存在するかもしれませんが。

皆さんは誰が書いたと思いますか?

僕には、ただの新人作家とは思えません。無名の新人の作品であれば、こんな宣伝の仕方はしないと思うんです。何か賞を受賞したようでもありませんし、文体や構成が今までにない斬新な作品でもない。期待の新人であったとしても、この宣伝は荷が重過ぎるように思えます。

では、すでに売れている作家の別名義でしょうか。このパターンはよくありますからね。ただ、今回に限って言えば、それも考えにくい。わざわざ別名義を使ってまで書く作品とは思えませんから。それに、新潮社が新人といっています。公式のホームページに記載された文章は一種の地の文なので、これで新人作家じゃなければ、フェアとは言えませんよね。

となると、有名人の作家デビューでしょうか。これも前例はいくらでもあります。しかし、ただでさえ何か言われることの多い有名人の作家デビューにこんな宣伝の仕方を選ぶとは思えません。出版社だけでなく、所属する事務所などもタッチするでしょうからね。

うーん。となると人工知能でしょうか。これだったら面白いとは思います。ただ、もしも人工知能が書いた小説であれば、わざわざメッセージ形式の作品を選ばないんじゃないかなと。風景描写や心理描写が少なくなるので、人工知能が書いたという意外性がありません。

複数の人物による作品の可能性も考えられなくはないですけど、弱いですよね。

ちなみに、僕はおじさんが書いたと思っています。「おじさんって誰だよ」と思うかもしれませんが、それは僕にもわかりません。ただ、何となくおじさんが書いてそうです。若い人には書けない気がしたので。

ただ、よく考えてみると、世の中のたいていの小説は、広義のおじさんかおばさんが書いていますよね。あながち間違いでもないのかなと思っています。

次点はもちろんおばさんです。

 

さて。

ここまで考えました。

作品の感想だけでなく、宣伝や作者についても。

で、思いました。

新潮社はもっと考えてるんじゃないかと。

つまり、ネット上の反応も予想済みで、この作品の宣伝を行ったのではないかと。

そもそも、作品自体がメタっぽいですよね。もちろんメタ作品ではありません。ただ、あのような形式の作品であれば、読み手はメタの可能性も考慮するのではないでしょうか。しかし、実際にはそういうことはなかった。あくまでも驚きの真相が待っていただけでした。 

で、それを読んだ人たちはネット上もしくはリアルで感想を語り合います。もちろん作品や宣伝への批判だって考えられます。

でも、それは問題にならない。なぜなら、読者の感想が作品の一部となるからです。つまり読者の反応を踏まえた上で作品が完成する、さらにはそれを作品の中に取り込むことすら考えられているのではないかと。

もしもそうであれば、キャッチコピーを募集することにも頷けます。

 

うーん。

さすがに無理がありますか。

ありえなくもないと思うんですけどね。

 

まあ、少なくとも、ここまでブログを読んでもらえれば、僕の宣伝は成功していると言えるんじゃないでしょうか。

これこそ紛れもない後付けですね。

 

最後に言うことでもないんですけど、宿野かほるって古野まほろに空目しちゃいますよね。

これだけはどうしても伝えたかったので。

 

それでは。 

 

追記(2017/08/28)

書籍化された『ルビンの壺が割れた』の感想もブログに書きました。よろしければ、ご覧下さい。

再び『ルビンの壺が割れた』を読んだ。 - DA-BLOG